2020年7月28日(火)

関係各所への連絡

母が昨夜亡くなったことを、母の姉や弟には父が電話で、従姉妹には私がLINEで伝えた。母の姉(伯母)には連絡がつかなかった。このことは予想していたけれど、伯母の娘から母(妹)の死を知るよりも、その前に父が連絡をとった事実があった方がよいと思い、まず電話連絡をしてもらった。なお、父は父方の親族や友人にも母の死を知らせていたようだった。

この日の私は、夕方から東京高裁に行く予定があった。母が入院中は、いつでも病院に駆けつけることができるように、遠出を最低限にしていた。すでに母は亡くなった後は、制限する必要は無くなった。なので、東京高裁に行こうと思えば行けた。しかし、無理しない方がいいのと、優先順位を間違えない方がいいと思ったので、裁判所には事情を伝えて予定を変更してもらった。裁判所に指示されたので、相手方の弁護士にも私が連絡した。

葬儀会社との打ち合わせ

予定どおり、9時30分ころ、葬儀社担当者から電話があった。葬儀の準備以外の予定はないので、10時過ぎぐらいに、担当者に来てもらうことにした。担当者は女性で、後で知ったのだが息子と同じ年のお孫さんがいるとのこと。葬儀会社が自宅の近くにあるため、担当者がすぐに来てもらえるのはありがたい。

葬儀の基本方針と葬儀プラン

葬儀の基本方針について、最初は「直葬」を考えていた。直葬とは、通夜・告別式を省略して、火葬場で簡単なお別れの挨拶などをして、火葬にするというもの。母は無宗教・無神論なので、お坊さんを呼ばず、できるだけ宗教色を減らし、かつ、節約家であった母のことを考えると、直葬が適切かなと思っていた。

しかし、宗教色を排するにしても、母のきょうだいや姪たちのためにお別れの儀式は必要と思い、火葬場の前にお別れ会はした方がよいと考えを変えた。

葬儀会社の家族葬のプランは、6つあった。一番安いプランは、祭壇にお花がないタイプだったので、花や植物が好きな母のことを考えると、選択肢としてはなし。一番安いプラン以外は、すべて花祭壇だった。下から2つ目と3つ目の大きな違いは、祭壇の花の数。下から2番目だと、他にお花を用意しない限り、棺が花で埋まらないと言われた。他方、下から3番目だと埋まるだけの量があると。私としては、下から3番目がいいかなと思ったけれど、父は下から2番目のプランがいいというので、それにした。

なお、上位3つのプランは、参列する人数が10数人なのに、そこまで大仰にする必要もないし、100万円を超えるものだったので選択肢には入っていなかった。

無宗教の葬儀の場合、進行役として司会がいた方がよいと葬儀会社に勧められた。父は喪主なので進行役はできず、私はできなくはないけれど、涙が止まらず進行に滞りが生じると思ったので、お願いすることにした。

納棺師と死化粧

ただ、このプランだと死化粧は含まれないとのこと。私は、黄色い肌が死体ぽくって嫌なので、白くしたかった。そこで、別料金になるけれど、納棺師に死化粧をしてもらうことにした。

死亡届・死亡証明書

遺体を火葬にするためには、市区町村長の火葬許可証が必要となる(墓地、埋葬等に関する法律5条1項、同8条)。死亡届を受理した市区町村長が火葬許可を出せる(墓地埋葬法5条2項)。つまり、死亡届を提出しないと、火葬場で火葬することはできない。

死亡届は、死亡を知ってから7日以内に提出しなければならない(戸籍法86条)。そのため、死亡届をすぐに提出しなくてもよい。しかし、火葬をするためには、死後24時間が経過する必要があること(墓地埋葬法3条)、遺体が腐敗することなどを考えると、死亡届は速やかに提出することが望ましい。

死亡届は、死亡証明書と一体のA3用紙で、病院でもらえる。死亡届に必要事項を記入して、同居する親族などが死亡届を役所に提出することはできる。しかし、葬儀会社の方で代行してくれるのが一般的である。実際に、私たちが頼んだ葬儀会社も代行してくれた。死亡届の記入も代筆してくれると言われたが、死亡届の記入は喪主の父にしてもらった。記入後捨て印も押して、葬儀会社の担当者に預けた。

死亡届を提出する際に、火葬許可の申請も同時に行う。火葬許可証は、火葬場に提出する関係から、私たち遺族には渡されなかった。紛失するリスクを考えると、その方が適切だ。なお、火葬後の埋葬許可証は、火葬場で受け取った。

死亡診断書は、葬儀以外の手続きで必要になることがある(例えば、保険金の請求など)。原本は提出してしまうので、葬儀会社の方で複数枚コピーして、遺族に渡すものである。

火葬場の手配

火葬の日時について、夏なので遺体の腐敗が進む前にした方がいいと思った。火葬場の空き状況を葬儀社の担当者に確認してもらうと、7月31日午前10時が空いていた。しかし、そうなると、お別れ会はもっと早い時間から開始しなければならない。私と父以外、参列者は県外のため、その日に火葬することは諦めた。翌8月1日であれば空きが多いということで、午後1時に火葬場の予約をとった。今は、スマホで火葬場の空き状況の確認や予約ができるようだ。

火葬場の予約に15,000円が必要というので、葬儀社の担当者に預けた。

死化粧

葬儀会社の担当者が、納棺師に電話で確認したところ、すぐに来られるというので、来てもらうことにした。納棺師は中年の女性だった。着替えや死化粧中は退席して、終わるのを待った。小一時間程度で終わった。死化粧をした母の肌は黄色くなくなっていた。それだけではなく、ただ眠っているかのように見えた。今時の死化粧の技術はすごいと感心した。もっとも、見た目は眠っているかのようであっても、遺体はかなり冷たかった。でも、死化粧をお願いして本当によかった。

遺体の状態があまり良くないということで、明日の午後、葬儀会社の霊安室に移すことになった。

叔父夫婦の供養

叔父夫婦から枕花が到着した。午後3時ころ、叔父夫婦が自宅に来てくれた。

母方の実家は仏教の信徒。長男である叔父も同じくその宗派の信者。母の供養のために、叔父夫婦がお経を読み上げてくれた。

妻と息子との別れ

叔父夫婦が帰った後、妻と息子を母に合わせた。妻は涙を流してくれたけれど、息子は興味がないのか、怖いのかあまり祖母(母)には近寄らなかった。それでも泣いたり癇癪を起こしたりはしなかったので、お別れはできたであろう。

2020年7月29日(水)

枕花

従姉、叔父(母の妹の配偶者)から枕花が到着した。母の亡くなる数日前に、タイヤの空気が抜けた自転車を修理に出した。母の入院先の病院に行くときに使っていた自転車。修理が終わるまで、一人でしゃぶしゃぶ食べ放題を食べた。

遺体の移動

午後3時ころ、母の遺体が葬儀会社の霊安室に移された。枕花も一つは持っていけるというので、一番大きな枕花をもっていってもらった。遺体とはいえ、なくなると寂しいのだ。

プロフィールシート

お別れ会のときに、司会が母のひととなりを紹介する。それの準備のために、母のプロフィールシート(出生地、家族関係、経歴、趣味、好きなもの、人柄やそれがわかるエピソード、お別れのメッセージなど)を作成してほしい、明日までに完成させてほしいと言われた。

父と話しながら完成させた。母は、明治大学在籍中に「明治のクレオパトラ」とあだ名されていたとのこと。父が母の大学時代を知る人から聞いたらしい。クレオパトラというと絶世の美女の代名詞だけれど、そこまでの美人とはとてもいえない。母の髪型がおかっぱ頭なので、その点をからかう要素もあったのだと思う。

母が簡単な日記をつけていたことを初めて知った。このタイミングで読む時間や気力がないので、直近のものだけ目を通した。今年の4月に痛みに関する記述があった。また、息子のことが日記にたくさん書かれていた。私のことはあまり書かれていなかったことを考えると、息子を心から可愛いと思ってくれていたのだろう。今年の2月から急に息子が母たちの部屋に遊びに行かなくなった。行こうとしないのであれば、わざわざ私の方で連れて行くこともしなかった。そのため、母たちと息子が接する機会が大幅に減ってしまった。悔やまれる。

2020年7月30日(木)

朝から正午過ぎまで仕事でさいたま市へ。

母のお別れ会のときにかける映画音楽のCDが到着した。葬儀会社の会場では、スマホから音楽をかけることができないというので、わざわざCDを購入した。20年ぐらい前に、母が有名な映画音楽を聴きたいというので、私が買ってあげたことがあった。母が繰り返し聞いていたことを覚えている。最近は聴いておらず、CDも捨ててしまったようだ。

夕方、葬儀社の担当者がきたので、プロフィールシートとCDを渡した。

父の友人が母の葬儀に参列することになった。父の友人が誰だかわからないけれど、母がその父の友人と交流があったとは思えない。そんな人を本当に身内の人間しか来ない葬儀に呼ぶ理由がわからなかった。場違いな感じしかしないだろう。結局、その父の友人の参列はキャンセルになった。その代わりに弔電が届くことになった。弔電がないよりはあるに越したことはないものの、その弔電の内容は通り一遍のもので、思い出やお別れのメッセージ付きのものではなかった。その人も伝えることがなかったのだろうと思う。

2020年7月31日(金)

なんとなく気分が落ちているので、気分転換を兼ねて妻と外でランチ。

父方の親戚から香典がいくつも届いた。私にとってほとんど知らない人たちだけれども、ありがたい。

納棺式

午後4時から納棺式。父、妻、息子、私の4人が参加。今回、納棺式というものの存在を初めて知った。近い身内が遺体を棺に納める儀式ということだった。息子はお別れ会への参列や火葬場への同行は、息子を終始面倒を見なければならない妻の負担を考えると、まず無理。この予想は的中で、30分程度の納棺式も息子は大人しくできなかった。

納棺式の流れは、次のようなものだった(はず)。

  1. 死に水を取る(湿らせた綿棒を遺体の口につけて潤す)
  2. 清拭(手足をアルコールで拭く)
  3. 線香をあげて合掌
  4. 納棺(家族と葬儀社の従業員で協力して、棺に納める)

司会者と明日の打ち合わせ

納棺式終了後、控室で、お別れ会の司会者と簡単な打ち合わせをした。プロフィールシートの内容確認がメインであった。司会者からお別れ会のときに、お別れの挨拶をする人はいるかと尋ねられた。そういうのは、長男である叔父がするのが適任だと思い、確認してみると答えた。

2020年8月1日(土)

お別れ会

天気は晴れ。前日まで雨や曇り続きの天気だったことを考えるとありがたい。

10時前に父と私は葬儀社の会場へ到着。妻子はお留守番。すでに叔父(母の妹の配偶者)が到着していた。控室に父と叔父を残し、私は会場へ。司会者と細かな打ち合わせや、香典の受け取りなどの受付業務などをした。到着した叔父(母の弟)にお別れの挨拶を再度依頼し、承諾してもらった。別れの挨拶1人、弔電1本、2番目の従姉のお別れメッセージ1通。これで準備完了。

参列予定の12人が開始10分前には集合した。お別れ会が始まるまで、死に化粧や遺影の技術はすごいという話を母の死に顔を見ながら伯母たちと話した。

お別れ会は次のような流れで行われた(はず)。

  1. 点灯
  2. 開式
  3. 黙祷
  4. プロフィール紹介
  5. 献花
  6. お別れの挨拶
  7. 弔電の紹介
  8. お別れのメッセージの代読
  9. 閉式

最初に、父、私の順で祭壇の横にある蝋燭に火を灯すことから始まった。点灯後一礼して席に戻った。

司会者が開式の言葉をアナウンスした。どんな内容だったかは覚えていない。おそらく何度も使いまわされるアナウンスを適宜変更したものであろう。

記憶が定かではないのだが、ここで黙祷を捧げたような気がする。

そして、プロフィール紹介。「明治のクレオパトラ」と呼ばれていたエピソードが使われていた。「やっぱり、それを使うのね」と思わず笑ってしまった。

献花の一連の流れは、白いカーネーション1本を参列者全員が献花台にたむけて、母の顔を見て、席に戻るというものであった。カーネーションは花を手前、茎を奥にして置いた。伯母が泣いていた。

叔父(母の弟)のお別れの挨拶。簡単なものでいいからと伝えていたけれど、子どもの頃の母とのエピソードを交えて、しっかりとしたお別れの挨拶をしてくれた。

1通だけの弔電が読み上げられた後、2番目の従姉が、会場到着後に書いてくれた、母宛のお別れのメッセージを司会者が代読した。このメッセージは棺に入れてもらう。

そして、閉式。時間は40分程度。やることがなくてあっさり終わってしまうかと思ったけれど、そのようなことはなかった。私は、葬儀というと長すぎて退屈というイメージしかないのだが、40分という時間は長すぎずに適切な時間配分だったと感じられた。

私は、号泣はしなかったけれど、終始メソメソ泣いていた。私の席は最前列であったため、私の後ろにいる参列者の様子は見えなかったけれど、後ろから鼻をすする音がしていた。

葬儀会社のスタッフさんが、棺に納める花をつみ終わるまで、会場後方で歓談。準備が整った後、棺を参列者でグルッと囲み、全員で摘まれた花を棺に納めた。花に体全体を完全に覆われていたとまではいかなかった。しかし、寂しさを感じない程度には母の遺体を多くの花で覆われていた。花を詰め終わったら、全員で棺の蓋を持って、棺を閉じた。

先頭の父は位牌を、その後ろの私は遺影を持ち、他の参列者(特に男性)が棺を持って、霊柩車に入れた。

火葬

父と私は霊柩車、電車組はタクシー、他は自家用車で葬儀場に向かった。20分ぐらいで葬儀場に到着した。私たちよりも先にタクシー組が到着していた。

火葬場では、司会の人が付き添ってくれて、進行などをサポートしてくれた。棺を移動し、火葬の前に、全員で焼香をした。焼香なんて久しぶりすぎて、何回するのかわからなかった。父に何回するのと確認したら、何回でもという回答。3回ほどした。

焼香後、すぐに火葬のセット。別室に移動し、会食(精進落とし)。父に簡単な挨拶と献杯を任せた。喪主ではなく私が献杯の挨拶をしてもよかったのだが、改まって発言したら泣くと思われたので回避した。

父が母の昔の写真を持ってきていたので、それを回し見して盛り上がった。特に、母を含めた三姉妹と叔父の妻の4人で行った伊豆旅行の写真は、若かりし頃の母の姿を久しぶりにみた。若かりし頃と言っても、30代か40代の写真だと思う。私はその旅行に行っていないので、家で留守番が問題なくできる年齢だということを考えると、40代の写真だと思われる。

看護師をしていて、今回の母の入院でもとても頼りになった一番下の姪(従姉)が到着した。間に合ってよかった。

火葬が済んだので、父と私が遺骨を確認した。当たり前だけど棺も花もすべてなくなり、ほぼ骨しか残っていなかった。遺骨が載っている台の周りは、まだ熱かった。

確認して席に戻る。コンピュータの合成音声で、火葬完了を告げるアナウンスが流れた。全員移動して、遺骨に対面。2人1組で2組の箸を使って、遺骨を骨壺に詰めた。骨壺の下に足が来るように足の部分を入れた。骨がなくなるまで何巡もするのかと思ったら、一巡のみで終了。残りの遺骨について、骨の部位についての説明をしながら、火葬場の職員が骨壺に入れてくれた。火葬場の職員によると、骨がしっかりしていてかなり残っていると言っていた。そのため、用意した骨壺には入りきらなかった。そのため、頭蓋骨以外の骨については、火葬場の職員が細かくしてスペースを確保してくれた。火葬場の職員は、骨壺に蓋をして、埋葬許可証と一緒に骨箱に入れた。その箱を簡易的な骨箱バックに入れて、私が抱えて持つことに。

売店・休憩スペースに移動し、散会した。父がお礼の挨拶をして、司会者の締めの挨拶をして終了。父と私は、司会者が用意してくれたタクシーに乗って、午後2時か3時ころ帰宅。

骨箱や遺影を置く台がなかったので、テーブルの上に骨箱と小さい方の遺影をのせて、線香をたむけて、自室に戻った。疲れている感じはしなかったけれど、帰宅後夕食まで眠ってしまった。

なお、遺影や骨箱を置く代は、翌日葬儀社の担当者が持ってきて組み立ててくれた。これも葬儀プランに含まれているのだろう。

葬儀費用

葬儀にかかった費用は、税込みで約90万円。内訳は、葬儀のメインが73万円(基本料金は58万円で司会、納棺、搬送等が別料金でかかった)で、残りは返礼や精進落としの費用(火葬場での飲み物代数千円は別会計)。

火葬費用は火葬炉使用料が1万円、待合室使用料が5000円の合計1万5000円。

自分のときに備えて、葬儀費用として100万円は用意しておくべきことがわかった。