2度目の主治医の説明

朝、私は家族3人でリビングでくつろいでいるときに、父がやってきて病院から呼ばれていると伝えてきた。母の容体が急変したというわけではないらしい。が、昨日の今日に主治医から話を聞くと言うのは、何かあったのだろうということは予想できた。

いつものように私は自転車で父はバス病院の送迎バスで病院に向かった。昨日に引き続いて検温は一発でクリアできなかった。今回は冷たい飲み物だけではなくアイスクリームも食べたので、昨日よりは早く対応が下がった。

昨日と同じ部屋で、主治医の説明を受けた。母のレントゲン写真を見せられて、昨日よりだいぶ水が抜けていた。昨日見せてもらったレントゲンでは左の肺がほとんど真っ白(水が入っているため)だった。今日見せてもらったレントゲンはだいぶ白さが引いていた。回復の方向に向かってるのかなと一瞬喜んだ。しかし、それもつかの間であった。

今日主治医から聞いた話は、簡単にまとめると、ガンが進行していて、治療することも、母が回復することもないということだった。途中で何があるか分からないので病院を移ることもできないとも言われた。どれぐらい時間が残されているかもわからない、今家族ができることは近しい人を呼んで母に合わせることぐらいだと言われた。

私は途中から涙が出てしまって、質問に詰まることが多くなった。医師の説明を信じられず何かの間違いだと考えて医師に詰め寄ったり、何か治療法がないか医師に質問をしたりするような行動は私は取らなかった。要するに、私は主治医の説明をそのまま素直に受け取り、母がもう助からないことを疑うことなく、受け入れたから、涙が止まらなかったのだと思う。

他方、父は涙を流すようなことはなく、いつも通りの態度だったと思われる。

私は、家族が付き添ったり、近親者が面会したりしやすいように、また、少しでも快適なところで母に過ごしてもらいたかったので、個室に入れてもらうように頼んだ。しかし、現在空きがなく、今すぐには無理と言われた。可能な範囲でできるだけしてほしいと頼んだ。

呼吸を楽にするように、鎮静されている母と面会した。母は、呼びかければ目を開けたり、音を発するなどの反応を示すことはできていた。しかし、会話はできる状態にはなかった。

ちょっと不思議なことがあって、主治医から説明を聞いていた時に、妻から二度スマホに電話がかかってきた。説明を聞いている間だったので着信には応答しなかった。説明後にLINEを確認したら、息子が勝手に妻のスマホをいじって電話をかけていたとのこと。息子がスマホをいじることはあっても、電話をかけてしまうことはなかった。妻のスマホにはロックがかかっていて、息子は知らないはず。息子が父を励ますために不思議な力で電話をかけてきたと根拠なく解釈することはできるような不思議な出来事。

きょうだいや姪の面会

私たちは一旦帰宅することにした。父は、腰が痛いというので近所の整形外科に行きその後また病院に行くということであった。私は妻に母のことを伝え、母の姉や弟にこのことを伝えるために、いとこに対してLINEで、母はもうダメなので急いで会いに来てあげてほしいと伝えた。

その後すぐに、母の弟と姉から電話がかかってきて、母の状態を伝えた。二人とも今日面会に来てくれるというので、私も少し休憩をして、二人が着く前に病院へ向かった。なお、今回も体を冷やして検温チェックはクリアした。

私より先に母の姉が到着していた。孫のYに付き添われて。意識のない母と面会をしてもらった。体調が悪くなった経過なども説明した。短い面会が終わり、母の姉が帰ろうとしたところに、母の弟とその配偶者が到着したので、母の姉は帰るのを伸ばした。母の弟は、何年か前に大病を患っていたため、杖を携えていた。母の弟の配偶者も昔はだいぶふくよかだったのに、今ではだいぶ痩せていた。母の弟の面会が終わり、ティールームで話をしている際に、母の枕元に家族の写真を置いてあげたいと思ったので、母のきょうだいたちの写真を撮影した。

明日来る予定だった母の姪Yも到着した。

母への別れの言葉

親族たちとティールームに私がいたら、母に付き添っていた父もやってきたので、代わりに私が付き添うことにした。入院初日以来初めての親子二人の時間。なお、父は、父と記載しているけれど、母の再婚相手で、私との関係では養父にあたる。

私もずっと母に付き添うことはできないので、母の死目に会えるか分からない。なので、親子二人になったこのタイミングで最後のお別れをしておくことにした。

私は20代のころから、気恥ずかしさと若気の至りで、母のことを下の名前に「さん」付けで呼んでいた。しかし、最後のお別れになるかもしれないので、「お母さん」と呼び掛けた。久しぶりすぎて違和感がバリバリあった。母が女手一つで育ててくれたことについてありがとう、お母さんの子どもに生まれてよかったと伝えた。陳腐な言葉であったけど、本心。母の耳に届いたかはわからない。けど、届いていたらいいな。

母は無神論者なので、死んだら消えてなくなるだけと思っているはず。私もそう思っている。死んだら消えてなくなる言葉であっても、生きている時に届いて、喜んでもらえたらいいなと思う。

本来なら、入院初日、または、意識のあった昨日の面会の時に言えればよかったのだろう。ただ、昨日の時点で、母がもうダメだとは知らされておらず、入院は長くかかるけど、いずれ退院はできると思っていたので、やむを得なかった。

大切な人、近しい人には、日頃から感謝の言葉は伝えておく方がいい。

しばらくしたら、母が目を開けたので、まだ残っていた親族にそのことを伝えて、再び会ってもらった。私たちのことが認識できていたかわからない。しかし、ぼんやりとどこを見ているかわからない目をしていたのに、目を大きく開いて、父の方に視線を移動させていたので、少なくとも見えていたとは思う。

夕方、父より先に帰宅して、妻と子どもと夕食。疲労困憊ということはないけれど、疲れたので夕食後すぐにベッドで横になった。

話は前後してしまうけど、午後の面会の際には、涙を拭くためにタオルを自宅から持ってきていた。午前中の主治医の説明の時に涙が止まらないおっさんだったので、念のためにタオルをもつこんだ。大好きだった母方の祖父が亡くなったその日に、小学校低学年であった私は涙が止まらないという経験を初めてした。その時もタオルで涙を拭いていたように思える。