母の見舞い

母の入院の記録を三日ほど書かなかった。いざ書こうとすると私の記憶が曖昧になっていることがわかる。たかが数日前のことなのに、記憶が混乱している。記録を残しておかなければ、断片的にしか思い出せなかったと思う。記録を残しておいてよかった。

いつもどおり、午後3時過ぎに、母の病室へ。看護師さんによると昼間は酸素マスク、夜は人工呼吸器をして様子を見ている状態とのこと。

息子が不器用に靴下を履いている動画を見せたら、母は目を開いて凝視していた。口元が笑っているかのように動いた。私が「可愛いでしょ」と母に言うと、母は「かっ」と発したように聞こえた。私の問いかけに答えて「可愛い」と言おうとしたのだと私は解釈した。

話しかけ

今日は、母に対してベラベラと話しかけてみることにした。反応のあまりない相手に話すのは簡単ではないし、話のネタもあまりなかったので、息子の話をすることにした。最近の息子の様子を一方的に話した。その際に、息子の将来に対する不安を私が口にしたところ、それまで穏やかな顔をしていた母が目と口を閉じて泣いているように見えた。私は「大丈夫、大丈夫、(息子には)俺がいるから。」となだめたら落ち着いた。麻酔状態でも聞こえるし、感情的になることもあるのかもしれないと思った。

私自身親になって実感したけれど、婚姻費用も養育費もなしで、女手一つで子どもを育て上げるのは、並大抵のことではない。性別や血縁の有無を問わず、子育ては最低でも二人体制が必要。しかし、母は生活のための仕事と子育てに加え、社会運動にも深く関与していたのだから、さらにすごい。私は到底真似できない。というようなことを母に話しかけた。

母らしいエピソードで私が印象に残っているものがある。私の中学校の卒業式後、地元の駅前をブラブラしていたら、中学1年ときに同じクラスであったMに話しかけられた。このMは中学時代荒れていて、暴力的ではなかったけど、学校で一番の問題児であった。そのMが私の母にお礼を伝えて欲しいと言ってきた。Mがいうには、中学3年はほとんど学校に来ていなかったけど、卒業式には出席したくて、卒業式が行われている体育館へ行ったところ、教師たちに止められて体育館に入ることができなかった。そこに卒業式に保護者として参列するために来ていた母がとおりかかり、Mと教師のやり取りを見て、教師たちに「入れてあげなさい。」と抗議したおかげで、卒業式に参加できたとのこと。

今から考えると、Mは実の親や教師から厄介者扱いされて、母がしたようなことをされる経験が少なかったので、感謝の気持ちが素直に生まれたのだろうと思った。以前、Mは父親に殴られて顔をひどく腫らして学校に来たことがある。そのときはMが悪さをしたのだろう、Mの父親はコワイなという印象しかなかったけど、Mの非行は親の不適切な関わりもあったのだろうなと思う。

もっとも、私は中一のときに、このMから多大な迷惑をかけられた身としては、そこまで同情はできなかった。母は、息子に迷惑をかけていたMとわかって味方をしてあげたのかわからないけど、それを知っていても、母は見て見ぬ振りはできなかったと思う。